近卫基通

近卫基通
近卫 基通(このえ もとみち、永[]元年(1160年) - 天福元年5月29日(1233年7月8日))は平安时代末期から[lián]仓时代前期にかけての公卿。摂政・[guān]近卫基実の子。従一位・摂政・関白・内大臣。普贤寺殿、近卫殿を号す。

官歴

1170年(嘉応2)4月23日、元服し、正五位下に叙位。升殿と禁色を许される。4月29日、侍従に任官。12月5日、右近卫少将に転任。
1171年(嘉応3)1月18日、近江介を兼任。
1172年(承安2)1月5日、従四位下に升叙。侍従・近江介如元か?1月23日、右近卫少将に転任。近江介如元か? 10月26日、右近卫中将に転任。近江介如元か?